上越市・日本スキー発祥記念館 訪問記
3月中旬、新潟県上越市の日本スキー発祥記念館を訪ね、
企画展「レルヒ少佐と高田の友人たち」を見てきました。
今年は、レルヒによって日本にスキーが伝えられて110年のメモリアル・イヤー。
それを記念した企画展が開かれているので、これは見逃せません。
そして、せっかくなので石打丸山スキー場ですこし滑ってきました。
あいにくの雨のあと、重い雪でしたが、
ゆったりとしたコース、雪で覆われた山々や市街地の美しい眺望は格別で、
また行きたいと思いました。
この記念館について、上越市のホームページの説明を以下に転載させて頂きます。
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明治44年(1911年)1月12日、当時のオーストリア・ハンガリー帝国の軍人テオドール・エドラー・フォン・レルヒ少佐が、ここ上越市において日本で初めてスキーの指導を行いました。これが日本のスキーの始まりです。
レルヒ少佐はわが国の軍事視察を目的として来日し、1年余りを高田で過ごしました。この間、陸軍第13師団の長岡外史師団長ら良き理解者に恵まれ、スキーの指導にも熱心に力を注ぎました。
今日のスポーツ・レジャーとしてのスキーの隆盛を見るとき、レルヒ少佐を始め当時情熱的にスキーの普及に努めた人々の先見性は、大いに称えられるべきでしょう。
この記念館はスキー発祥80周年を記念して建設され、平成4年(1992年)4月にオープンしました。さらに、長野オリンピック冬季競技大会の開催に向け、日本のスキー発祥の地「上越市」を全国にアピールするため、増築工事を行い、併せて展示内容の充実を図り、平成9年(1997年)2月に新装オープンしました。
当記念館は、スキーが伝わった当時の貴重な資料やレルヒ少佐の遺品などを展示し、上越はもとより、県外からも多くの皆さんが訪れています。また、全国からスキー用具や関係資料を寄贈いただき、レルヒ愛用の品もご遺族のご厚意により多数寄贈いただくなど、収蔵品の充実も図られました。
https://www.city.joetsu.niigata.jp/site/museum/sisetu-ski.html
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【企画展のチラシ】
【記念館 外観】
【館内の様子】
指導中のレルヒを撮影した有名な写真(撮影:小熊和助)をもとに作成された立像。
【レルヒの仕事机】
レルヒは母国に戻ってから、オーストリア=ハンガリー帝国の将校として最前線で闘い続け、
退役後は軍事に関する論文・記事で健筆をふるうようになったそうです。
これは没後に遺族から記念館に寄贈されたレルヒの仕事机。
帝国の没落で、生活に困窮する時期すらあったそうですが……
この机を間近で見て、オーストリア=ハンガリー帝国の歴史と繁栄の重みを感じさせられました。
【長岡外史とレルヒ】
来日したレルヒを迎える陸軍第13師団長(日露戦争で大きな役割を果たした)長岡外史。
軍隊でのスキー講習だけでなく、女性を含む市民にもスキーを奨励した、
広い視野を持った軍人であったことを初めて知りました。
スキーはその後、郵便配達、山林の管理、電気の保守など、さまざまな仕事で活用されるようになったとのこと。
その写真を見て、この上越が、スキーが日本に根づく、最初の地とされることを、深く納得しました。
第13師団を長岡の後に引き継いだのが、陸軍大学の同期であった秋山好古だそうです。
【記念館に隣接する金谷スキー場で、上越の地を見わたすレルヒ】
記念館では長期にわたって、小社刊行の『レルヒ 知られざる生涯』(新井博・著)を販売して頂いています。
新刊の『スキー研究 100年の軌跡と展望』も、チラシとともに置いていただくことになりました。
企画展は3月28日(日)までですが、記念館は年末年始と月曜などを除いて開館しています。
毎年1月の「スキーの日」、2月の「レルヒ祭」では、さまざまなイベントがあり、入館料が無料になるそうです。
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