twitter で起きた事件
twitter で、ある研究者が別の研究者を、非公開アカウントではあるけれど、
数年にわたって中傷していたという事件。
数年にわたって中傷していたという事件。
このサイトは、説明の言葉がよく吟味されていて明快。
とくに「コミュニケーション様式」という言葉は、
本質を喝破しているように思います。
賛同しました。
とくに「コミュニケーション様式」という言葉は、
本質を喝破しているように思います。
賛同しました。
【女性差別的な文化を脱するために--研究・教育・言論・メディアにかかわるすべての人へ】
この件、なによりも失望したのは、渦中の人が41歳と若く、
優秀とされる研究者(しかも歴史研究)だったことです。
実名のアカウントで数年にわたって続けていたというのは、
相当に感覚が麻痺している、と思う。
優秀とされる研究者(しかも歴史研究)だったことです。
実名のアカウントで数年にわたって続けていたというのは、
相当に感覚が麻痺している、と思う。
女性蔑視の観点で論じられることの多い話題ですが、
わたしの根本的な疑問は、
研究者で、若い学生を育てる立場にある教育者が、
頻繁にtwitterに投稿する必要性は何だろう?ということです。
研究者で、若い学生を育てる立場にある教育者が、
頻繁にtwitterに投稿する必要性は何だろう?ということです。
端的な言葉で他者を説得する、そのための文体を磨いている、
あるいは、アバターのゲーム感覚で楽しんでいる、
つもりが……
いつのまにか自分の人格をみずから歪めている。
アバターに自分を乗っ取られている。
そんなふうに感じることも多々あります。
あるいは、アバターのゲーム感覚で楽しんでいる、
つもりが……
いつのまにか自分の人格をみずから歪めている。
アバターに自分を乗っ取られている。
そんなふうに感じることも多々あります。
文体とは、
音楽でいえば自分の音色と同じくらい、
天与のものであり、かつ、
一生かけて磨いていく(飾りや嘘のない自分になっていく)もの、
と思うのですが……
天与のものであり、かつ、
一生かけて磨いていく(飾りや嘘のない自分になっていく)もの、
と思うのですが……
なぜそれをみずから放擲して、SNSの鋳型に自分を填め込んでいくのだろう?
誰がそれをあなたに求めている?
そして、どんなに工夫を凝らしてウケる文体を駆使していても、
どの投稿も同じ人格に見えてくる不思議、というか、気味の悪さ。
どの投稿も同じ人格に見えてくる不思議、というか、気味の悪さ。
もったいないではないですか。
唯一かけがえのない「自分」なのに。
唯一かけがえのない「自分」なのに。
出版の企画がもちあがったとき、私がこの頃まずすることは、
その人のtwitter投稿を見ることです。
その人のtwitter投稿を見ることです。
日常の「素」(?)のステージで、どんな振る舞いをしている人なのか。
そこに少しでも、不必要な好戦性、他者攻撃のにおい、
類型的なドグマのようなものを感じたら、
お付き合いは慎重にすることにしています。
類型的なドグマのようなものを感じたら、
お付き合いは慎重にすることにしています。
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