twitter で起きた事件


twitter で、ある研究者が別の研究者を、非公開アカウントではあるけれど、
数年にわたって中傷していたという事件。
 
このサイトは、説明の言葉がよく吟味されていて明快。
とくに「コミュニケーション様式」という言葉は、
本質を喝破しているように思います。
賛同しました。
 
【女性差別的な文化を脱するために--研究・教育・言論・メディアにかかわるすべての人へ】
https://l.facebook.com/l.php?u=https%3A%2F%2Fsites.google.com%2Fview%2Fagainstm%2Fhome%3Ffbclid%3DIwAR1H6IcAdBx4Vkdp59pEPrmKPGnplBKn2xxyRcNI6Insktgr5NARm8beAQI&h=AT02gZnE7Uxu-BO4pkgRlwpe6BlO_xy6IxkN4jfrwaKncMewCvQZzV3yHAubsnYFnRgmEYSTvcasCodXPUR4us6w2KVTEnT5fCyLxGSKEEK5E_uHebiMb0E3Dby5xYPa2vJFf__3wKxPOUv_vrnA&__tn__=-UK-R&c[0]=AT2bX3O3JF5ibOrzr2KmrEIV6ZuHqJimezzYYKYGbTSicDY4NINkAiTuLD1Bn9GiLbZDPoP87_I40eLW6N-x9qWoEkiN2Dfi7h_hKjEl0WOeyq-CePjlH6jrIjitSD7IOYjkiGngNnpxQnuxpeNX7EKRCA
 
この件、なによりも失望したのは、渦中の人が41歳と若く、
優秀とされる研究者(しかも歴史研究)だったことです。
実名のアカウントで数年にわたって続けていたというのは、
相当に感覚が麻痺している、と思う。
 
女性蔑視の観点で論じられることの多い話題ですが、
わたしの根本的な疑問は、
研究者で、若い学生を育てる立場にある教育者が、
頻繁にtwitterに投稿する必要性は何だろう?ということです。
 
端的な言葉で他者を説得する、そのための文体を磨いている、
あるいは、アバターのゲーム感覚で楽しんでいる、
つもりが……
いつのまにか自分の人格をみずから歪めている。
アバターに自分を乗っ取られている。
そんなふうに感じることも多々あります。
 
文体とは、
音楽でいえば自分の音色と同じくらい、
天与のものであり、かつ、
一生かけて磨いていく(飾りや嘘のない自分になっていく)もの、
と思うのですが……
 
なぜそれをみずから放擲して、SNSの鋳型に自分を填め込んでいくのだろう?
誰がそれをあなたに求めている?
 
そして、どんなに工夫を凝らしてウケる文体を駆使していても、
どの投稿も同じ人格に見えてくる不思議、というか、気味の悪さ。
 
もったいないではないですか。
唯一かけがえのない「自分」なのに。
 
出版の企画がもちあがったとき、私がこの頃まずすることは、
その人のtwitter投稿を見ることです。
 
日常の「素」(?)のステージで、どんな振る舞いをしている人なのか。
 
そこに少しでも、不必要な好戦性、他者攻撃のにおい、
類型的なドグマのようなものを感じたら、
お付き合いは慎重にすることにしています。