予定調和 ではなく


先週末、YouTubeに新しい動画をアップしました。
去年の11月に、名古屋の書店 文喫栄 で行ったトークイベントの動画です。

『シェレメーチェフ家の農奴劇場』の刊行を記念して、著者の森本頼子さんにご登壇いただき、わたくし片桐も聞き手としてお喋りしています。
この本が刊行されるまでの研究の道のり、その後の後日談など、てんこもりの内容になりました。
忙しいなか、万全の準備を整えてトークにのぞんで下さった森本さん。ありがとうございました。

昨年には、「『同じ月』を読む」という動画も制作し、YouTubeで公開しました。こちらも4本のうち3本に片桐が聞き手として出ています。
滑舌わるく、倍速でもじれったい、のんびりトーク。聞き手なのに。
動画全盛のこの時代に、異世界の住人かおまえは。もうちょっと何とかならんのか。
われながら突っ込みどころ満載です。

「出たがり」とお思いの向きもあるでしょうが、出たいというよりは、こんな自分でも、出ないとしょうがないなぁ、という気持ち。
予定調和で当たり障りのないトークは、聴いていて面白くないからです。

深く濃い話をしたい、忖度・遠慮なしの語りを聴きたいと思えば、担当編集者が聞き手をつとめるしかない。

つくづく思うのは、その本の意味・価値は、著者自身が思い描いているものを遥かに超えて、広く深いものになり得る。
それを言葉にして伝えるのは、編集者の役割です。

でも編集者も案外、本を出すときに設定した読者層の範囲から出ようとしない/出られない。
著者への遠慮がある。
会社の人間の顔もあれこれ思い浮かべたりする。
当たり障りなく上手くまとめようとするのは、致し方ないというか、賢明なやりかたです。

でも、それはもったいない、と思ってしまう。
もうちょっと突っ込んで、ほんとのところを聴きたい。
期せずしてちらりと見えるその片鱗に、聴いている人は心を動かされるのだと思う。

こんな編集者の、誇大妄想気味な企画に付き合って下さる著者、関係者の皆様には、感謝しかありません。ありがとうございます。

不出来なところも多い動画ですが、著者のお話は素晴らしいです。
聴いてみて頂けると嬉しいです。

道和書院YouTubeチャンネルはこちら

(片桐 記)