創業者の死


「ここで死んだんだよ、うちの親父。」

日販王子流通センターの「注文口」の駐車スペース。
創業者の娘さんと一緒に、納品に行ったときのことです。

春秋社をやめて2年たったころでしょうか。
わたしは、豊島区にあった道和書院の事務所に週2、3回通って、書類の整理をしたり、出荷や請求の仕事を手伝ったり、既刊書を見ながらデータベースを作ったりしていました。

創業者・鬼海高允氏は1994年3月、注文品を届けにきた日販王子流通センターで倒れ、帰らぬ人になりました。
享年56歳。道和書院を創業して25年目のことでした。

新年度に向けて、採用品(テキスト)の出荷が最盛期のころ。
その日はたまたま学生アルバイトが休んでしまい、一人で納品に行ったそうです。
本がぎっしり詰まった段ボールを何箱も、車と納品窓口を行ったり来たりして運ぶ。その最中に発作に襲われたのでしょうか。

道和書院はその後、息子さんを社長に、奧さんの美乃里さんが切り盛りして出版活動を続けます。
創業者の突然すぎる死に、ご家族がどんな思いをされたか…… 
わたしなどの想像を遥かに超えることですが、並大抵の苦労ではなかったと思います。

父はそのころ、離婚してひとり暮らしになっておりました。
一人ぼっちで、いちばん頼りにしていた甥の突然の訃報を受けた父の心中を思うと、胸が痛くなります。
思いやることさえ十分にできなかった、そのころの私。
今さらながら、後悔ばかりです。

高允さんの死から24年後、わたしは道和書院の事業を受け継ぐことになりました。
そのころ美乃里さんは体をだいぶ悪くしていて、仕事の詳細を教えてもらうことができませんでした。

わたしは専(もっぱ)ら、残された本から道和書院の仕事を推しはかることになり…… 
そして驚嘆しました。

スポーツ・健康科学の分野で、こんなに先端的な仕事をしてきた出版社だったのか。

改めて、高允・美乃里夫妻の仕事に思いを馳せ、事業を受け継ぐ重みを感じることになりました。

つづく。

(片桐 記)